井坂しんや
井坂しんや井坂しんや

「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」

8月15日終戦記念日。昨日は80年の節目の日でした。
この節目の日に、日本共産党として終戦記念日にあたっての訴えとチラシの配布、海上自衛隊へのトマホークミサイル配備撤回を求める署名を行いました。

その訴えの中で、私はドイツのヴァイツゼッカー元大統領の演説の一部を紹介しました。

「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」という言葉が有名ですが、1985年のドイツ敗戦40周年に連邦議会で行った演説の一部です。
この演説の中で、ヴァイツゼッカーは第2次大戦でのヒトラー・ナチスによるユダヤ虐殺などの問題に触れながら、以下のように話をします。

「人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは今日、一人ひとり自分がどう関り合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。
 今日の人口の大部分はあの当時子どもだったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。
ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
 罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。
心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。
 問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。」非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。
ユダヤ民族は今も心に刻み、これからも常に心に刻みつづけるでありましょう。われわれは人間として心からの和解を求めております。
まさしくこのためにこそ、心に刻むことなしに和解はありえない、という一事を理解せねばならぬのです。」

と述べ、そして最後には

「ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。
若い人たちにお願いしたい。
他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
ロシア人やアメリカ人、ユダヤ人やトルコ人、オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、黒人や白人
これらの人たちに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
若い人たちは、たがいに敵対するのではなく、たがいに手をとり合って生きていくことを学んでいただきたい。
民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこのことを肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。
自由を尊重しよう。
平和のために尽力しよう。
公正をよりどころにしよう。
正義については内面の規範に従おう。
今日五月八日にさいし、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。」

と締めくくりました。

私は、この演説から40年たった今でも日本が80年前の戦争にどう向き合ってきたかが問われると感じています。
80年の節目の日だからこそ、この演説の内容をかみしめています。


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